カテゴリー: 地域、コミュニティー

OPEN JAPAN ブログ - 日々の活動などなど

石巻にて仮設住宅支援・古民家再生IBUKIプロジェクトの現状  (月とカヌー・鈴木よしこより)

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オープンジャパンの助さんから、「5日、仮設住宅で落語会&炊き出し鍋をする」との連絡を受け、石巻行きを決めました。気になっている古民家再生IBUKIプロジェクトの進行具合をみることも目的のひとつです。
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牡鹿半島大原浜の区長さんにご挨拶に行き、お話を伺います。大原の住人になったオープンジャパンの仲間チセちゃんにも会うことができました。
古民家IBUKIはガラスも入り、壁も張られていて大きな大工作業は終えた感じでした。内装、水回りなどまだまだやることはありますが、古民家の再生はほぼ成されたという印象です。蔵の修復もお見事、地元オガタ棟梁の技だそうです。さすがです。
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古民家が再生されたら次はそこに息吹を注ぎ込み、生きた家として機能させることです。古民家再生IBUKIプロジェクトは今月8日から工事再開の予定です。
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小渕浜の漁師佐々木さんにご挨拶に伺いました。助さんと合流して一緒にお話を伺いました。その後かさ上げし新しくなった女川の町を見ました。駅には温泉があり、目の前はおしゃれな広場になっていて海までお店が並んでいます。ダンボールでできた「ダンボールギーニ」のショップ、スタバ風なカフェ、美味しそうなビールの看板、お土産ものやさん。まるでアメリカ西海岸のような風景に、地場の海産物を用いた「ほやきそば」「さんまパン」「海鮮丼」ののぼりがはためいていました。駅の足湯で地元の方にお話を伺いました。震災前から駅近くには温泉があったそうで、新しくなった今もよく利用しているそうです。便利になったところもあるけれど、高台に移転したので歩くのが大変だと言っていました。新しくなった女川町、石巻から電車で来られるので観光で訪れる人が増えそうです。宿やゲストハウスができれば、一泊女川で過ごす旅プランができるだろうあ、そんな印象を受けました。
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6日朝8時、オープンジャパン2階キッチンにて、ボランティアに来てくれたSMFG (三井住友フィナンシャルグループ)の方々と今日の炊き出しの仕込みをします。
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落語家の昔々亭慎太郎(せきせきていしんたろう)さんを乗せた助さん号と、はからめ号が一足先に十三浜にあるにっこりサンパーク仮設住宅に着き準備をしていると、宮城弁のラジオ体操が流れ始めました。毎日10時にラジオ体操をしているそうで、わたしも仲間に入れてもらいました。
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11時から集会所で落語会、牡蠣鍋とたこ焼きの振る舞いをしました。SMFG の方には前回もこちらの仮設住宅でお手伝いしていただいたので、住民の方との交流も育まれていてとてもいい会となりました。みなさんの熱い心に感謝です。
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(前振り無しで高座に上げられてしまった助さん。)
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(寒い外での作業、おつかれさま。)
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(たこ焼き係はやはり関西人におまかせ)
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(地元の方々に交ざって沢山お話聞いたり話したり。)
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片付け終わって振り返りの時間に「福島から来ている仲間です。福島の話をちょっと。」と助さんがわたしたちに話をする時間をつくってくれました。福島で生活している私たちが伝えたことは放射能のこと。この重いテーマを、これからの日本と世界で活躍していく方々に考えてもらいたいと思う気持ちから話させていただきました。
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仮設住宅をあとに、津波の被害のあった大川小学校に祈りを捧げ、その後みなさんと道の駅でお別れしました。人とのご縁をつなぎ、その縁をまたつないでいく、それが町を再生させていくことになるのだとあらためて感じた今回の石巻でした。
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震災から5年が経過し、町には新しい店舗や復興住宅が建てられていました。海沿いには津波除けの防波堤が建設されはじめ、仮設住宅の統合や取り壊しの話を聞きました。
オープンジャパンの事務所で代表タケちゃんと話します。今必要なことは水害の被害のあった岩手県岩泉町を支援していくこと、現場に入っている仲間を支えていくことだと聞き、そのためにわたしたちができることを話し合いました。
太平洋側の道から福島に戻りました。通れるようになった高速道路には放射線量の数値を示す看板が立ち、高いところでは「現在3.0マイクロシーベルト」と表示されていました。ガイガーカウンターのアラームは鳴り続け、すれ違うトラックには「除染土壌等運搬車」との表示がされています。表土がはがされた田んぼや畑、積み上げられた汚染土。そこではもちろん人が作業をしています。重機とトラックがあちこちで動いています。石巻とはまた異なる風景です。5年経った今でも放射能はなくなっていません。
石巻マラソン大会出場前日にもかかわらず泊めてくれた友人夫妻には限りない感謝です。(完走したと聞きひと安心しました!)ボランティア活動でなくとも、こうして石巻に友人を訪れることができるようになってとても嬉しいです。 いろいろ考えさせられる、いろいろ自分で考える、そして行動する。今回も学び多き旅でした。    (よ)

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月とカヌーのWEBサイトより転載

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3月29日~4月3日に活動された、近藤未来さんの感想です。

私は今回初めて、3.11の被災地に、宮城県石巻市に行きました。

今まで被災地へボランティアに行ける機会は何回かあったのに、どれも何か理由をつけて行かない方を選んできました。

それは被災してない自分と大きな被害に遭った場所、人を分けて考えていたからだと思います。

しかし今回初めてボランティアに行ってみて、
人や場所とか、同じ日本の中のある一カ所であって、あまりにも大きく違うものは何もなかった。

もちろん、震災の被害、津波の被害からまだ完全に復興したとは言えないが、「違う世界」だと分けて考えるための材料はなかった。

地元の人の声を聞くと誰もが壮絶な体験をしていて、話してくれることにありがたさを感じつつも、話しの内容が想像がつかず、驚くことしかできなかった。

しかし、今回話をしてくれた人達はみんな、壮絶な体験の話をしてくれたあと、いつも笑顔をむけてくれた。すごく眩しい。

私は活動期間を終えて、自分の家へ帰り、疲れてぐったりしながらも石巻での日々を思い返すと自然と笑顔になって、

そのあとなぜだか涙が溢れて止まらなくなった。

でも、頭に浮かぶのは石巻で出会った人達の眩しい笑顔、彼らの真剣で前向きな思いばかり。

自分でも何で涙が出てくるのか不思議だったけれど、大きな出来事があってから月日が流れる、ということは、一分一秒の重さが増すのだろうなと感じました。

非常に貴重な時間、経験が出来ました。
ありがとうございました。

近藤未来

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石巻に行くのは1年ぶりのこと

3月29日~4月3日の間活動された、深尾 明加さんの感想をアップします

「石巻」と一言でよんでも、様々な側面を持っています。大きな地震や津波が来た被災地でもあり、顔がほころぶ食べ物がたくさんある場所でもあり、心休まるホッとする場所であり、尊敬できる優しい人々のいる場所であり、友達と再会したり、新しい仲間にであったりするワクワクする場所でもあります。来るか来ないかは、自分で決められること。「行きなさい」とか「行くべきだ」というつもりはありません。でも、来てみると、見えていなかったことが見えたり、気づきが、学びがたくさんあることは間違いないです。

 

2011年の5月に行った初めての石巻では、カメラのシャッターを切ることができませんでした。カメラを向けられて、ピースすることもありませんでした。高い高いビルの上にある車や、小さい子の使っていたおもちゃの車を見ると、もう言葉がありませんでした。ただただ見ることしかできなくて、私が泣いちゃダメだって思いました。

 

避難所にいた方々も、「助けたいと思った人がいても、助けられなかった」「全部、波にのまれた」と夢の中の話だったかのように、つぶやき話していました。自分の大切な故郷が、一瞬にして流れ去ってしまったことを受け入れることは、容易にできることではありません。地元の多くの方が無力感をかんじているのを直に受け取り、他県の私たちが最初の一歩を踏み出さなければいけないと思いました。

 

2年経った今、そのときにはなかった光景が石巻に広がっていました。一年前はベースにも人が40人50人と溢れていたのに、今では10人いれば多い方です。それは、なんだか私には衝撃的なことで、正直なところ寂しい気持ちが少しありました。でも、日々を過ごしているうちに、必要なのは人と人との強い繋がりなのだと気づきました。長い期間を通じて、地元の人達との、信頼関係を築いている方たちがいるからこそ、私たちはここに来られるのだと。石巻や仙台では、それぞれに現実を心の中で据えて、前向きに進んでいこうとする地元の方々の姿をあちらこちらで見かけました。

 

出会った中のひとり、竹下さんという笑顔の素敵なおじいさんはこう言いました。「辛いことを経験したからこそ、弱いもんの気持ちがわかる」。彼は地域の方々と繋がれるお庭をつくりたいと話しました。心に傷を持っていたり、話し相手が欲しいけどなかなか見つけることができなかったりという人が、石巻には多くいるそうです。人と人との繋がりがどれだけ大切なのかを実感した彼だからこそ、お庭づくりを通じて地域の方と繋がりたいと考えるのでしょう。竹下さんはお話が大好きで、自分の人生の中のエピソードを、惜しげもなく私たちに聞かせてくださいました。最初は方言がわからなくて、耳をかっぽじって聞いていましたが、なんだか不思議と心で伝わってくるものです。何時間もお話を聞いたり、話したりしているうちに、被災者であるということも忘れ、一人の人間として竹下さんと向き合うことができました。

 

仙台の若者にもお話を伺うことができ、同じ時代を生きているのに、全く異なった経験をしていることにショックを覚えました。同い年の女の子から「遠くから支援として古い服を送ってくださっても、着たいと思う人はいないだろうし、結局使われないだろうと思った」という意見を聞くと、自分が同じ立場になったらと想定して、相手の心に寄り添いたいと感じました。私と彼女の異なる部分といえば、住んでいる場所と経験したことだけ。彼女も私と同じように外国に関心があるようで、話が盛り上がりそうな予感がしました。

 

「あなたたちは遠くから来てくれているのに、私はなんにもしていない」石巻出身の方が言いました。でも、今までは自分のことで手一杯で当たり前だったのだから、これから一緒にこの街をつくっていけばいいのだから。動くのが遅いとかそんなこと関係ないと思いました。だから、こうして勇気を出して石巻に来てくれて、出会えたことにすごく感謝したくなって、ハグしました。やっと、地元の人にもバトンを渡すことができるようになったのだと実感しました。

 

夜行バスでは仙台の人と隣同士になり、また新たな側面に気づくことができました。「家に帰るまでが、活動だから」と言われていたことがこういうことだったのかと、そのとき深く実感しました。彼女は「石巻が怖い」と言っていました。また津波が来るかもしれない。地震が来るかもしれない。そう想像すると行けないのだと。宮城県南部の野菜も放射能汚染の可能性があるから、買わないと話していました。そういう不安な面ももった場所であるということにも、改めて気づかされました。

 

この6日間は人間と人間同士で向き合って、お話が出来て、なんだか「ボランティアに来てる」という感覚というよりは、「出会いに来てる」、「繋がりに来てる」と言ったほうがしっくりきました。そのタイミングでしか出会えなかった人と出会えて、お互いのそのまんまを伝え合う。新しい価値観も、共感しあうことも、新たに生まれる感情も。おもしろかった。悲しかった。嬉しかった。苦しかった。考えた。見つけた。与えにいっているのか、与えてもらっているのか。もらったものは多すぎて、なんか「ボランティア」という言葉は合わない気がしました。

 

こうして、出会えた人々は宝物。これからも、石巻を忘れません。

大切な人々が石巻にはいるから、また会いに行きます。

みんなのおかげで出会えた。ありがとう。

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3月29日~4月3日 藤谷 純澄佳さん

今回初めて石巻へやってきた大学生。全国より集まり6人で参加。
その一人、藤谷純澄佳さんから感想が届きました

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石巻に行って感じたことです。

 3.11。あれから2年経ちました。今東北のことが心の隅で気になってる人はいっぱいいると思います。考えるよりとりあえず行ってみてください。もしくは、行ったことある人にその気持ちを言ってみてください。何にも難しいこと考える必要は無くて、ただ、ちょっと気になって何か出来るんだろうかと思ったら、まず動くことが一番です。
 私は今回石巻に行ってそう感じました。

 体験を語ってくれたみなさんは、2年もたつと、すでに整理されたようでした。笑いを交えて壮絶な体験を語ってくれた方もいます。話を聞くたびに、壮大な映画を見終えたような気分になりました。一人一人に、それぞれの立場故のドラマがありました。

  今何をするのが復興になるか。それは、みんなの心をまず元気にすることなのです。たった一角でもよくて、そこに花が咲き、こどもたちが遊びまわる明るい場所になると、みんなの元気がでる。その町の人々自身が刺激を受け、「自分たちもやろう!」と思うことが、一番いいのです。明神社の植樹活動も、NPOスマイルシードの黄本さんのその想いが叶うように始まりました。黄本さんは、「弱い老人をケアする場ではなく、子どもたちの場が第一」といいきります。石巻に来た大学生の私たちの心意気を存分に褒めてくださいました。子どもと若い世代がこれからをつくっていくのだと。私たちが植樹をしている際、地元の3人の子どもたちが自ら「何か手伝えることはありませんか?」とぎこちなく聞いてきてくれたときは本当に感動しました。土地のゴミ拾い、土肥やし、瓦礫除去、個人宅の庭づくり、様々な活動は、すべて未来を見ていました。

 今回ボランティア活動をしたというより、離れた場所に住んでいる人間と人間の関係を築いた、そんな6日間でした。被災者とボランティア、そんな関係はもはやありません。被災地の方も、自ら活動をし始めている。私たちもお互い様、石巻の方からたくさん勉強になったことがあります。それはまさにお互いに協力し合う人間の関係です。その関係は、いくらでも続き、遅いも何もありません。今出来ることというのは、いくらでもあります。

 ボランティア活動を継続することが大切という考えではなく、ただ単に「あの人どうなっているのかな。あの街どうなってるのかな。」という気持ちでまた会いに行き、そこの活動を一緒にして、気持ちを共有しに行きたいです。

 私が行きたいって言っただけですべてを手配してくれて、さらにいろんな悩みを聞いてくれたりアドバイスをくれたこうちゃん!一緒に行動したゆっけ、みらい、はるか、ゆりこちゃん!ともちゃん、すえさん、えりさん、なまらさん。イクさんがいなければこんな体験できなかった!OPENJAPANのみなさん。新しいつながりで新しいプロジェクトに誘ってくださった、NPOスマイルシードのふじこさん。はるばる新潟から団体で一緒に活動したみなさん。仙台や東京などからいらっしゃった団体三越伊勢丹のみなさん。石巻で出会ったみんなみーーんなに感謝です!感動ありがとうございました!

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3月10日 1日限りの復活、「みなと食堂」

1日限りの復活「みなと食堂」

3.11を前に、炊き出しをしていた湊中学校武道場にてみなと食堂を一日だけオープンしました。事前告知もぎりぎりでしたので、どれくらいの人が来るのかまったく予測できませんでした。たった一人の人しか来なかったとしても、その人が穏やかな気持ちで暖かい食べ物とお茶を飲みながらしばし時間を過ごせるといいな、との思いでした。

あの時と同じレイアウトで

前と同じようにカフェコーナー、ディッシュリユースコーナー(セルフの食器洗い場)を設置し、花を飾ったテーブルに椅子、そして音楽を準備しま す。マッサージコーナー、似顔絵コーナーもあります。今回のメニューは大鍋による山形風の芋煮とたい焼きです。11時オープンと同時に人がぱらぱ らと入ってきます。いつの間にか用意した60席は満席になっていました。「なつかしい。前とまったく同じようになっていて驚いた。テーブルもコー ヒーの場所も、あのときと同じだね。」「電話もらって、来たんだよ。会えて嬉しいよ。」「仮設にいても誰とも会わないんだけれど、連絡もらって久しぶりにみんなで会えたら、話ができてとてもよかった。またみんなで会いたいと思った。」「あの時の楽しかったときのこと思い出す。また一緒に野菜切りたいね。」

佐勇水産さんの気持ちをThis is a Penとともに

「いまから ここから」今年も桜が咲きそうです。

校庭に出ると、校舎に大きな垂れ幕がかかっているのが見えました。そこには「いまからここから」「感謝」という言葉が書いてありました。一体誰なんだろう。大掛かりだから、個人じゃないよなぁ、と不思議に思っていると、ここによく食べに来ていた湊地区にある佐勇水産の奥さんが、校長先生に許可をとってかけてくれたと教えてくれました。「もう工場の再開は無理だと思っていたけれど、ここでぽつりとその話をしたあと、たくさん のボランティアさんが工場の泥だしをしてくれて、再開することができました。」と奥さんは話します。「あのときがあるから今がある。校長先生から一日だけ炊き出しをしに来ると聞いて、みんなに思いを伝えたくてかけさせてもらったの。」 味付けはIBUKIプロジェクトの味の要、 愛媛SOHSOHから来たわーちゃんが腕をふるい、たいやきははっちゃん、たくさんのボランティアさんたちもかけつけてくれ、用意していた150 食はあっという間に完食、たいやきは400匹という大盛況なみなと食堂でした。あのときと同じように片付け、車に荷物を積み入れて南境生活セン ターに戻ります。と同時に明日の炊き出しの準備、一息つく暇もありません。まるでかつての炊き出し班のときのようです。

炊き出しの仕込み風景

南境生活センターでの準備風景

明日で震災から丸2年、3月11日オープンジャパンはタケちゃんこと吉澤武彦が新代表となります。これまで代表としてみんなを引っ張って来てくれ た助さんこと吉村誠司氏と木村とーる氏の代表としてのおつとめラストナイト、「明日から普通のおじさんに戻ります。」とみんなを笑わせてくれる助さん、普通のおじさんに戻らせないための思考を練って、みんなで感謝を伝える夜となりました。

普通のおじさんには戻れません

よし子

はからめのWebサイト(www.hacarame.com)より

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