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津波の記憶を削って!8日の作業様子。

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昨日は、3か所での作業を無事に終了!
?まずは、5月末からクロさんや仲間たちが作業開始していた貞山小学校の遊具撤去の丸太運びだし。
http://blog.canpan.info/coco/archive/2730
春の選抜で甲子園に出場した石巻工業高校近くにある小学校で、津波が150センチほど入り老朽化と塩害もあって、立派な遊具が使えない状態になっていた。

?大街道西の別の小学校裏にある家での塩害木の搬出が終わった庭の土移動作業。津波の引き潮などで、1箇所に集まった土を平らにする。

?工業港の日本製紙工場近くの築山地区家屋庭からの泥かき作業。
この家にボランティアで入っている方から、牡鹿担当の奥田さん経由で依頼が入った件で、津波で入った泥や瓦礫がそのままになっており、カチカチに固まっていて、人力では掘ることができない状態。
「表面を5センチほど削ってほしい、そして庭の一部をおばあちゃんの畑にしたい・・・」という。
おばあさんの娘さんに話を伺うと、「地震の後、津波が来ると聞いていなかったので、このおじいちゃんの家から50mほどの家にいたら、津波が来る音が聞こえて、外に逃げることが出来ないので、子供2人とばあちゃんと2階に逃げました!おじいちゃんも自分の家の2階に逃げるだろう!大丈夫だろう・・・」と話をしていました。
しかし、3日目にその家の1階で亡くなっていたおじいちゃんを見つけることになったという。

おばあさんは、亡くなった夫の家の庭で、ようやく畑をしたいという気持ちに変わった。
重機で削ると、隣接するお墓の割れた骨壺やゴルフボール、思い出の品物が何点か見つかり、当時のヘドロの匂いも舞い上がった。
その破片をひとつひとつ拾いながら、「その下には、柔らかい土があるんですね・・・子どもの遊び場にもしたいなあ・・・という気持ちに変わってきました!」とお母さん。

震災前、重機を操るおじいちゃんを見ていたので、ユンボを「がばっちょ!がばっちょ!」と嬉しそうに呼ぶ孫の姿があった。

震災後に発表された復興計画では、津波に耐え4人の命を救った家の庭に道路が来る計画になっている。
「おじいちゃんが作ってくれた家をなんとか守り住み続けたい!この計画は、変だと思います・・・近所の方々も納得していません!」とお母さん。

●今日9日は、明日の東松島宮戸島での植栽活動現場準備。
夕方18時から、広島原爆の火(福岡県星野村より採火して、一昨日到着)採火セレモニーを事務所で4団体と行う。別の団体は11日の月命日追悼にその火を使ってキャンドルセレモニーを計画している。

◆写真 社労士との打ち合わせと届いた原爆の火。

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