1月8日、ずっと通っている南三陸にお餅を持ってお話をしに行ってきました。
ご報告が遅くなりました。
お餅は昨年末にバンド仲間のBRAHMANが全国から集めたもの。
http://ameblo.jp/oau/entry-11103898285.html
お餅のお伴、納豆やきなこやゴマは、休日のたびに南三陸に通い続けている仙台の佐藤君が用意。
館浜の三浦さん宅でお届けしたお餅で納豆餅とゴマ餅を作っていただき一緒に昼食。
浜にあったたくさんの住宅が津波でなくなってしまい、海まで遮るものがなくなったご自宅に親子三代でお住まい。
「お餅はどうやって食べるの?」と地元の方に聞くと、みんな「納豆」と答えるほど代表的な食べ方。
ご飯のあと、集落18軒のお宅と館浜仮設住宅(14軒)にお餅を配りながらお話をしました。
震災で海での作業が少なくなり何もしない時間が増えて、これから先の不安ばかり考えてしまうと話す漁師のお母さん。
高台にあり津波の被害を逃れたお宅に住む方からは、津波で家のなくなった方と同じ支援を受けることに罪悪感を覚えて辛いとの話。
そういった心の声が多いなか、この浜には普段煮炊きや風呂は薪で生活され、自転車で気仙沼まで4時間かけて買い物に行かれる80歳すぎの方がいます。
震災前から自動車や電気ガスに頼らない生活。
震災後に住民の多くの方が見習う何かを感じたようでした。
石巻でもたびたび聞いてきた「不便なくらいでちょうどいいのかもしれないね」という言葉。
復興する過程で、その言葉を忘れずにみんなが実行できたら、分け合える優しい社会にほんの少し近づけるのかもしれません。
館浜のあとは、絆で流された本殿の片づけに入り、本殿の柱の一部を楽器にするために運び出した細浦地区の徳性寺さんで新年のご挨拶。
ここでは住職の音頭で月に1回、住民の方の集まるお茶会をやっています。
住職の奥さんは、年が明けてから何だか急に疲れが出て・・・とお話しししながら、涙を流されていました。
そして物資配布の取りまとめをしてくださっていた永野さん宅にお邪魔して、仮設の方の分も含め約40世帯分お餅をお届け。
いろいろな不安を抱えて新しい年を迎えた被災地の方たち。
東北からの声に耳を傾け、心を寄せ続けてくださいね。
ゆかり
ブロブアップより日にちがたっておりますが、
コメント失礼いたします。
館浜出身の者です。
館浜は小さい地区のためか、わかりにくい場所のようです。
ご支援を頂きまして、誠にありがとうございます。
深く感謝いたします。