五月五日宮城県石巻市大宮町明神社では、今年もお神輿の担ぎてボランティアを募集しております。
当日8時半集合
9時よりご神事後神輿出発今年は、一ヶ所仮設住宅も神輿で、回ります。
13時神社に戻り予定です。
担ぎ手が、不足しておりますので、是非とも皆さまのご参加お待ちしております。
(写真は昨年の様子、ひーさん、助より)
カテゴリー: 祭りプロジェクト
五月五日宮城県石巻市大宮町明神社では、今年もお神輿の担ぎてボランティアを募集しております。
当日8時半集合
9時よりご神事後神輿出発今年は、一ヶ所仮設住宅も神輿で、回ります。
13時神社に戻り予定です。
担ぎ手が、不足しておりますので、是非とも皆さまのご参加お待ちしております。
(写真は昨年の様子、ひーさん、助より)
5月5日、今年も石巻の渡波地区にある引き起こし作業中の通称明神社にて例大祭が行なわれました。
ボランティアが関わりだしてからは3年目になりました。
今年のお祭りは地元の方が主体で行われましたが、渡波地区は被害が大きかったこともありまだまだまわりに人がかえってこない。
そこでopenjapanの有志で御神輿の担ぎ手を 手伝わせていただきました。
みんなでわっしょい!と1~2時間町を練り歩きました。
震災前は、朝早くから 出発して16時頃まで御神輿が帰ってこなかったそうです。
来年はもう少し遠くまでいろいろなお宅に行けますように。
少しずつ笑顔も戻っていますと宮司さんの言葉。
御神輿が戻ってからは、ライオンズクラブさんの寄付で地元の大工さんが今年建てたという祖霊社でgravity freeが奉納ペイント。(宮司さんがgravity freeの大ファンだそうです)
音楽の演奏や大道芸、神話の語りなどで楽しい時間を過ごしました。
明神社のすぐ近くの復活した印刷所で、明神社の2011年の祭りのポスターの絵を使用したステッカーをつくっていただいたので鳥居を再建する為の募金と引き換えに配ったりもしました。
新しい家も少しずつ建ってきています。
少しずつ子供達の笑顔がふえますように◎
mai
私は今回初めて、3.11の被災地に、宮城県石巻市に行きました。
今まで被災地へボランティアに行ける機会は何回かあったのに、どれも何か理由をつけて行かない方を選んできました。
それは被災してない自分と大きな被害に遭った場所、人を分けて考えていたからだと思います。
しかし今回初めてボランティアに行ってみて、
人や場所とか、同じ日本の中のある一カ所であって、あまりにも大きく違うものは何もなかった。
もちろん、震災の被害、津波の被害からまだ完全に復興したとは言えないが、「違う世界」だと分けて考えるための材料はなかった。
地元の人の声を聞くと誰もが壮絶な体験をしていて、話してくれることにありがたさを感じつつも、話しの内容が想像がつかず、驚くことしかできなかった。
しかし、今回話をしてくれた人達はみんな、壮絶な体験の話をしてくれたあと、いつも笑顔をむけてくれた。すごく眩しい。
私は活動期間を終えて、自分の家へ帰り、疲れてぐったりしながらも石巻での日々を思い返すと自然と笑顔になって、
そのあとなぜだか涙が溢れて止まらなくなった。
でも、頭に浮かぶのは石巻で出会った人達の眩しい笑顔、彼らの真剣で前向きな思いばかり。
自分でも何で涙が出てくるのか不思議だったけれど、大きな出来事があってから月日が流れる、ということは、一分一秒の重さが増すのだろうなと感じました。
非常に貴重な時間、経験が出来ました。
ありがとうございました。
近藤未来
3月29日~4月3日の間活動された、深尾 明加さんの感想をアップします
「石巻」と一言でよんでも、様々な側面を持っています。大きな地震や津波が来た被災地でもあり、顔がほころぶ食べ物がたくさんある場所でもあり、心休まるホッとする場所であり、尊敬できる優しい人々のいる場所であり、友達と再会したり、新しい仲間にであったりするワクワクする場所でもあります。来るか来ないかは、自分で決められること。「行きなさい」とか「行くべきだ」というつもりはありません。でも、来てみると、見えていなかったことが見えたり、気づきが、学びがたくさんあることは間違いないです。
2011年の5月に行った初めての石巻では、カメラのシャッターを切ることができませんでした。カメラを向けられて、ピースすることもありませんでした。高い高いビルの上にある車や、小さい子の使っていたおもちゃの車を見ると、もう言葉がありませんでした。ただただ見ることしかできなくて、私が泣いちゃダメだって思いました。
避難所にいた方々も、「助けたいと思った人がいても、助けられなかった」「全部、波にのまれた」と夢の中の話だったかのように、つぶやき話していました。自分の大切な故郷が、一瞬にして流れ去ってしまったことを受け入れることは、容易にできることではありません。地元の多くの方が無力感をかんじているのを直に受け取り、他県の私たちが最初の一歩を踏み出さなければいけないと思いました。
2年経った今、そのときにはなかった光景が石巻に広がっていました。一年前はベースにも人が40人50人と溢れていたのに、今では10人いれば多い方です。それは、なんだか私には衝撃的なことで、正直なところ寂しい気持ちが少しありました。でも、日々を過ごしているうちに、必要なのは人と人との強い繋がりなのだと気づきました。長い期間を通じて、地元の人達との、信頼関係を築いている方たちがいるからこそ、私たちはここに来られるのだと。石巻や仙台では、それぞれに現実を心の中で据えて、前向きに進んでいこうとする地元の方々の姿をあちらこちらで見かけました。
出会った中のひとり、竹下さんという笑顔の素敵なおじいさんはこう言いました。「辛いことを経験したからこそ、弱いもんの気持ちがわかる」。彼は地域の方々と繋がれるお庭をつくりたいと話しました。心に傷を持っていたり、話し相手が欲しいけどなかなか見つけることができなかったりという人が、石巻には多くいるそうです。人と人との繋がりがどれだけ大切なのかを実感した彼だからこそ、お庭づくりを通じて地域の方と繋がりたいと考えるのでしょう。竹下さんはお話が大好きで、自分の人生の中のエピソードを、惜しげもなく私たちに聞かせてくださいました。最初は方言がわからなくて、耳をかっぽじって聞いていましたが、なんだか不思議と心で伝わってくるものです。何時間もお話を聞いたり、話したりしているうちに、被災者であるということも忘れ、一人の人間として竹下さんと向き合うことができました。
仙台の若者にもお話を伺うことができ、同じ時代を生きているのに、全く異なった経験をしていることにショックを覚えました。同い年の女の子から「遠くから支援として古い服を送ってくださっても、着たいと思う人はいないだろうし、結局使われないだろうと思った」という意見を聞くと、自分が同じ立場になったらと想定して、相手の心に寄り添いたいと感じました。私と彼女の異なる部分といえば、住んでいる場所と経験したことだけ。彼女も私と同じように外国に関心があるようで、話が盛り上がりそうな予感がしました。
「あなたたちは遠くから来てくれているのに、私はなんにもしていない」石巻出身の方が言いました。でも、今までは自分のことで手一杯で当たり前だったのだから、これから一緒にこの街をつくっていけばいいのだから。動くのが遅いとかそんなこと関係ないと思いました。だから、こうして勇気を出して石巻に来てくれて、出会えたことにすごく感謝したくなって、ハグしました。やっと、地元の人にもバトンを渡すことができるようになったのだと実感しました。
夜行バスでは仙台の人と隣同士になり、また新たな側面に気づくことができました。「家に帰るまでが、活動だから」と言われていたことがこういうことだったのかと、そのとき深く実感しました。彼女は「石巻が怖い」と言っていました。また津波が来るかもしれない。地震が来るかもしれない。そう想像すると行けないのだと。宮城県南部の野菜も放射能汚染の可能性があるから、買わないと話していました。そういう不安な面ももった場所であるということにも、改めて気づかされました。
この6日間は人間と人間同士で向き合って、お話が出来て、なんだか「ボランティアに来てる」という感覚というよりは、「出会いに来てる」、「繋がりに来てる」と言ったほうがしっくりきました。そのタイミングでしか出会えなかった人と出会えて、お互いのそのまんまを伝え合う。新しい価値観も、共感しあうことも、新たに生まれる感情も。おもしろかった。悲しかった。嬉しかった。苦しかった。考えた。見つけた。与えにいっているのか、与えてもらっているのか。もらったものは多すぎて、なんか「ボランティア」という言葉は合わない気がしました。
こうして、出会えた人々は宝物。これからも、石巻を忘れません。
大切な人々が石巻にはいるから、また会いに行きます。
みんなのおかげで出会えた。ありがとう。
今回初めて石巻へやってきた大学生。全国より集まり6人で参加。
その一人、藤谷純澄佳さんから感想が届きました
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石巻に行って感じたことです。
3.11。あれから2年経ちました。今東北のことが心の隅で気になってる人はいっぱいいると思います。考えるよりとりあえず行ってみてください。もしくは、行ったことある人にその気持ちを言ってみてください。何にも難しいこと考える必要は無くて、ただ、ちょっと気になって何か出来るんだろうかと思ったら、まず動くことが一番です。
私は今回石巻に行ってそう感じました。
体験を語ってくれたみなさんは、2年もたつと、すでに整理されたようでした。笑いを交えて壮絶な体験を語ってくれた方もいます。話を聞くたびに、壮大な映画を見終えたような気分になりました。一人一人に、それぞれの立場故のドラマがありました。
今何をするのが復興になるか。それは、みんなの心をまず元気にすることなのです。たった一角でもよくて、そこに花が咲き、こどもたちが遊びまわる明るい場所になると、みんなの元気がでる。その町の人々自身が刺激を受け、「自分たちもやろう!」と思うことが、一番いいのです。明神社の植樹活動も、NPOスマイルシードの黄本さんのその想いが叶うように始まりました。黄本さんは、「弱い老人をケアする場ではなく、子どもたちの場が第一」といいきります。石巻に来た大学生の私たちの心意気を存分に褒めてくださいました。子どもと若い世代がこれからをつくっていくのだと。私たちが植樹をしている際、地元の3人の子どもたちが自ら「何か手伝えることはありませんか?」とぎこちなく聞いてきてくれたときは本当に感動しました。土地のゴミ拾い、土肥やし、瓦礫除去、個人宅の庭づくり、様々な活動は、すべて未来を見ていました。
今回ボランティア活動をしたというより、離れた場所に住んでいる人間と人間の関係を築いた、そんな6日間でした。被災者とボランティア、そんな関係はもはやありません。被災地の方も、自ら活動をし始めている。私たちもお互い様、石巻の方からたくさん勉強になったことがあります。それはまさにお互いに協力し合う人間の関係です。その関係は、いくらでも続き、遅いも何もありません。今出来ることというのは、いくらでもあります。
ボランティア活動を継続することが大切という考えではなく、ただ単に「あの人どうなっているのかな。あの街どうなってるのかな。」という気持ちでまた会いに行き、そこの活動を一緒にして、気持ちを共有しに行きたいです。
私が行きたいって言っただけですべてを手配してくれて、さらにいろんな悩みを聞いてくれたりアドバイスをくれたこうちゃん!一緒に行動したゆっけ、みらい、はるか、ゆりこちゃん!ともちゃん、すえさん、えりさん、なまらさん。イクさんがいなければこんな体験できなかった!OPENJAPANのみなさん。新しいつながりで新しいプロジェクトに誘ってくださった、NPOスマイルシードのふじこさん。はるばる新潟から団体で一緒に活動したみなさん。仙台や東京などからいらっしゃった団体三越伊勢丹のみなさん。石巻で出会ったみんなみーーんなに感謝です!感動ありがとうございました!