現在OPEN JAPANでは、九州北部豪雨災害の支援活動を行っております。現地で活動する仲間、後方支援する仲間、それらを支えてくれる仲間・・・・。これらの活動に対する支援金を募っております。皆様の気持ち、エネルギーを、私達OPEN JAPANを通して現地へ直接届ける活動を行ってまいります。どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。
現地入りしているOPEN JAPANのメンバー&仲間たちがFacebookなどを通して個々に発信している内容を1日おきにまとめて報告させて頂きます。
今日は九州北部豪雨被害があったがあまり報道されない添田町の調査にひーさんと迂回して向かったが、かなりの家屋は地域の皆さんで助けあって対応している。
その後、嘉麻市から国道211号が開通した東峰村小石原地域に向かった…
東峰村小石原は昨日、日田市から入れた東峰村役場周辺から土砂崩れで寸断されて、かなり遠回り(約2~3時間)しないと小石原地域には入れない状況だ。
今日から電源車が入り、道路もつながり始め避難所から自宅に帰る方々もいるが、土砂に埋まった家屋に立ち尽くす姿があった…
その後、東峰村役場小石原支所に顔出しして現場を廻っていると南阿蘇村で共に活動した福岡県の社会福祉協議会の方より連絡が入り、東峰村社協局長と緊急ミーティング。
やはり東峰村役場から寸断された小石原支所にボランティアサテライトを作るサポートが必要とのことで微力ながら明日から応援で入ることになった…
阪神淡路大震災で発足した神戸元気村で2000年から開始した「地雷撤去プロジェクト」を支えてくれて共にカンボジアを歩いた鬼丸さん(テラ・ルネッサンス代表)の実家が東峰村小石原の奥地にあった…
役場や社協との打ち合わせ後、開通まもない泥だらけの道のりを抜け、ようやくたどり着いたが、裏山の崩落で全壊となっていた…(涙)
住民や役場の皆さんは私が鬼丸さんの仲間ということに驚き喜んで受入れしていただく…
悲しみを希望に少しずつ変えられるように…
(以上助さんのFacebookより転載)
【住めるよになるんだ⁉️】
【諦めたところなの‼️】
少しほんの少しだけ笑顔が見えた。
九州北部豪雨、朝倉市、日田市、添田町、各地を現場確認して来ましたが、昨日開通した道を通り 東峰村小石原地区で、道が開通して被災後始めて自宅を見に来たお母さん。
お隣のお家の畳を上げさせてもらい流れ込んでいる泥の確認と対処方法を伝えていると「玄関から入れないの」とご近所のお母さん。伺ってみると玄関の前には1メートル以上の土砂で敷地が埋もれている。
「リフォームして一週間だったのに」
「もう住め無くなってしまった」
「この先どうしよう」
過去の被災地でのお話しと対応方法を説明させていただくと、少しだけほんの少しだけ笑顔が見えた気がした。仲間の助さんと目が合う。
よし、ここからか
何故なら、孤立していた山間地域。
朝倉市などと比べて交通の便も悪く、みなさんボランティアの存在もあまりわからずに
「今後社協さんがボランティアセンター始まりますからもう少し待って下さいね」
とお話ししても
「ボランティア⁈」
自分達だけでなんとかしなきゃならんモードがある。
初動時、現地入ってお話しする時
『もうすぐボランティアさんも必ず来ますから)」と声かけして歩く。
東峰村、道がまだ寸断され自衛隊などの捜索も継続されている。ボランティアセンター開設もまだだ。
大きな団体でも無い
自分達が出来る事
自己完結で道具を用意して寝泊まり食事作業が出来る。
継続して活動できる後方から支援してくれている全国のたくさんの応援してくれている仲間が知り合いが企業が現場だけでは出来ない後方支援
募金箱を置いて、チャリティマルシェを開催して、
貯金箱から子供達が「行けないけど託すからね」とたくさんのお気持ちが届けられる。
最前線現場被災地には全国の気持ちがここにあるから
できる後方
昨年の熊本地震、南阿蘇村で広場にテントを張り、水をつなぎ、仮設トイレやコンテナハウスを持ち込み、自炊から始まり一年間支援活動を継続して来た。
まずは、こちらの集落に入り活動を始める事によって村に噂が広まる。
避難所に帰ってから「今日ボランティアさん来たの」と。
明日は避難所で「ボランティアさんが家に入れるようにしてくれて濡れた畳出したりしてくれたの」と。
手伝う人達が来て手伝いしてくれるんだ・・・と、被災後時間がたって諦めと不安が増している山あいの村
Open JAPAN の種が生まれた阪神淡路大震災。
ボランティア元年と言われた神戸。
神戸元気村から始まるご縁が東峰村にあります。
神戸元気村時代のボランティア仲間の実家が今回東峰村で全壊したと助さんに連絡が入っていた。
「自分の家は駄目になったけれど、東峰村気にしてくれ」と。
今回の水害九州地区被災されたすべての方々を手伝う事は出来ませんが東峰村少し笑顔を作り出すお手伝いは出来る。
コミュニティーを少しだけ元気に、地元の方々と一緒に前を向いて。
東峰村から帰ろうとすると一本の電話が
「東峰村社協ですがひーさんですか?」と。
役場からボランティア団体が来たとの連絡が社協に入りOPEN JAPAN という団体らしいけど、と。
東峰村社協のボランティアセンター立ち上げ準備で入っていたある地区の局長さんは昨年南阿蘇村社協ボランティアセンターとの連携時に地獄温泉まで道の危険な中、現地調査に同行してくれた方であり今回も孤立している東峰村に3日前胸迄土砂に浸かりながら入って来た心意気の局長
久しぶりの再会
南阿蘇村で共に過ごし汗した時間
お互いの信頼がそこにはある。
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OPEN JAPANの支援活動とは、住めなくなった家を住めるようにしたり、壊れたものを元通りにするだけに留まりません。なぜこの場所で、何のために、あの人にとってはああだったけれど、この人にとっては・・・。
何をすれば大丈夫といった絶対的な答えが無いのが被災地、その場で目の前の方と話し、その場で考え行動をする、その繰り返しです。これは被災地に限りませんが・・・。
OPEN JAPANは支援活動の範囲を東峰村を中心に動き始めました。現地には仲間が次々と集まってきています。ボランティア支援ベースも構えつつあります。ご縁がある方はぜひそのご縁をたどってください。
今後、上にあるひーさー、助さんの報告だけでなく、色々な視点から見た活動報告をお伝えしていきたいと思っています。
(月とカヌー 匠)
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