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被災地のリレー‥‥

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17年目の神戸に、3.11を追悼する竹筒の灯火が並んだ。阪神淡路大震災の1月17日には、今までも地震災害の被災者のみならず、中華航空事故や明石花火大会歩道橋で家族を失った遺族も足を運んで共に祈りの時をもっている。
東日本大震災を自分ごとのように、心を痛めている方々が、同じ被災をした地域には特に多くいると痛感した17年目だった。
あの日、共に汗や涙を流した皆さんは、すでに他界されたり、入院したり、歳を重ねた歳月は確実に現れている。
東北から、中越から全国から神戸を通じて、津波、原発被災地を思った。「1月17日から何ができたのだろうか」と。

21日、中越地震で3人の小学生が亡くなった小千谷の中山間地、塩谷を訪ね、中越から東日本大震災支援活動に関わっている方々の報告会で語った。
岩手県野田村から宮城県各地、福島県南相馬市(小千谷市と災害支援協定関係)などへ神戸から中越から通い続けている。会の中で、岩手県野田村に関わっている大阪大の渥美先生が「被災地のリレー」という表現を使った。
雪深い中越の集落での村おこしや修復活動のノウハウが各地で活かされ、当時被災者と呼ばれた方々が、今回の被災地の最前線に歩んで奇跡のリレーが生まれている。

一昨夜、石巻で仲間と今後について語った。不思議な縁で集まった20人近い仲間が、まもなくやってくる3月11日を思った。
「何もしないで、その時を迎えたい。。。」という声もある。
阪神淡路大震災から6217日、中越地震から2619日の積み重ね。今も時が止まったままの方もいる。
あの日、泥と瓦礫 と真っ黒い海水に埋まった石巻に入った時を思い出したが、今の様子は想像できなかった。
毎日、一歩づつ新しい日を共に歩んでゆける奇跡、軌跡を大切にしたいと昨日は仮設保育所で昼寝をする子どもたちを覗きながら思った。
旧暦の正月、新月の夜に‥‥
吉村の助

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