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古民家蔵の修復準備へ。あれから四年。

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牡鹿半島の大原浜でコツコツと活動を続けている古民家修復活動。昨日まで、松山市にある自然食レストラン草々から神野さんが訪ねて来てくれて、5日間滞在していた黄柳野高校の最終日キッチンサポートも行ってくれた。
この日に合わせて、大原の漁師さんが見事に育った牡蠣を沖合から収獲していただき、牡蠣フライや牡蠣焼きなど盛り上がった!
「身が一杯でうまいっちゃ〜」と自ら焼いてくれた区長さん。
同時に、古民家の上側に建っている1897年築の蔵横で浸水して全壊判定の家屋撤去が始まった。
蔵の土壁を守るためにも、雨水対策や風通しが必要で、この家屋の撤去が決まった。

日和山の下で津波を乗り越えた蔵を修復して残す記事が出ていたので、「宮城歴史資料保全ネットワーク」の方に打診して、大原浜にも昨年来ていただいた。
「棟書き」を調べてもらうと、蔵の築年や関わった気仙大工の棟梁、応援大工などの記録が見つかり、古民家は昭和8年築なども分かった。

「昔から、皆さんのように遠方の方々がやって来て、支え合っているんですね・・・」とネットワークの方。
「また、蔵が出来る前にも津波が来ていたようですね・・・」と過去を振り返った。
確かに、蔵の内部の材料は、かなり古い梁と柱が組み合わされているので、もしかしてその津波で壊れたものが使われたのかな・・・と想像した。

神野さんは古民家再生IBUKIプロジェクトの新しいチラシの校正打ち合わせなどして、上京し夜行バスで愛媛県への長い旅へ・・・お疲れさまです!

●ベースには、北海道の屈斜路湖近くよりドングリの苗とカヌーガイド「わっか」のガッテンが到着。週末は再び東松島での植栽活動。
今日も、交代で通い続けている葬儀屋セクトさん一行が早朝到着してくれて、地元のボラのカリコさんがリーダーでサンライス企画で仮設住宅廻りへ。

●朝8時43分は四年前に岩手宮城内陸地震が発生した時刻。
久しぶりにくりこま高原自然学校の佐々木さんや塚ちゃんと電話で話をした。
昨日に追悼行事があった耕英地区や山間部には東日本大震災の様々な影響が残っている‥‥(河北新報参照)
まさに「震おさまれど災おさまらず‥‥」

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