実際の活動から日数が経ち、だいぶ報告が遅くなってしまったのですが、南三陸町志津川での活動報告をします。
今月12日から14日まで、愛知県豊橋市で「虹のとびら」の代表をしているケヴィンが応援団バスを出してくれ、総勢38人で志津川の徳性寺と上山八幡宮での活動を行ってくれました。
徳性寺では、お寺近くの駐車場の瓦礫撤去を行いました。
今までボランティアもなかなか入らなかった場所で、震災から半年経つにも関わらず、大きな丸太、泥まみれの畳、ガラスや瓦の破片が沢山落ちている状態でした。
人力で瓦礫を担ぎ、二日かけて駐車スペースが出来ました。
お寺のお母さんもとても素敵な方で、親切に私たちを受け入れて下さいました。
活動を始めたばかりの時は、
「窓から瓦礫が見える。毎日見えるのがすごく嫌で、何もかもどうでもいいと思っていた。」
と、少し弱気にお母さんは話していましたが、瓦礫が片付いた様子を目の当たりにして、
「今回皆さんが来てくれて勇気をもらった。また遊びに来て!ここは本当に良い所だから、何年か経ってからまた寄って欲しい。」
と、大変喜んで下さいました。
帰宅する頃には話す言葉に力強さを感じられ、ボランティアをした側の皆も沢山の元気を分けてもらいました
最終日は神社のお祭りのお手伝いを行いました。
お祭り当日まで色々なボランティアが少しずつ境内を片付けていきましたが、私たちが仕上げの掃除をさせて頂き、他にも参加者の方に飲み物を配ったり、ヨーヨーを作ったり・・・お祭りが滞りなく執り行えるようお手伝いもしてきました。
スタートした頃は、瓦礫まみれの境内を宮司さんの甥である長さん一人が片付け始めました。
8月の末にA SEED JAPANの方々20名で瓦礫の撤去をした時には、
「本当にこの神社でお祭りが出来るのだろうか・・・」
と、途方にくれてしまう程の膨大な瓦礫量でした。
そこから徐々にボランティアの人数が増え、重機も入り、みんなの力が合わさって綺麗な状態となりました。
夜になるとキャンドルと灯篭が灯り、幻想的な中で鳥取県南部市から来てくれた野々宮神社の獅子舞と地元伝承者の方々の奉納神楽が行われました。
こうして今年もお祭りが開催されること自体、誰もが奇跡のように感じたはずです。
神秘的な空間の中、お祭りが出来たこと、参加させて頂いた事に感謝しつつ、犠牲になった方々の鎮魂をお祈りしてきました。
最後に宮司さんのお孫さんが書いた詩(五行歌)を載せたいと思います。
皆様に、想いが届きますように。
BYわらびーず & ちぃちゃん
つなみは
きらいです
って
かみさまに
いおうか
つなみはさあ
ゆうちゃんみたいに
いちめーとるくらい
だったら
よかったのに
ゆうちゃんのいえなんてさ
もう
こうなって
こうなって
こうなったんだから
ぼく
きらいな
じしんだよ
ばつ
ばつ
いえにかえる
って
どこにかえるの?
あ、
おばあちゃんのところかぁ
ゆうちゃんとこは
アスナロのきが
びょーん
て
たってるだけなの
いま
まいたたねが
こころのなかで
いま
さいた
『ばつ ばつ』
くどう ゆうすけ君 (四歳)